「参っちゃうな、急に雨が降ってくるだなんて。お母さんの言う通り傘持ってくれば良かったよ…」
先程から降り出した雨の中を、愚痴をこぼしつつなぎさが帰路を急いでいる。
しかし母の愛情を邪険にした罰なのか、雨は次第にその強さを増して行く。
そしてとうとう鞄傘では限界となってきてしまったその時、
「美墨さん!」
自分を呼び止める聞き覚えのある声がする。
胸の高鳴りを必死に抑えながら、ぎこちない動きでなぎさが振り向く。
「ふ、藤P先輩…」
降りしきる雨の中、赤い顔で立ち尽くす彼女に藤村が優しく聞いてくる。
「美墨さん傘忘れたの?風邪引くといけないから俺のに入っていきなよ?」
「え、一緒に!?…でも…」
突然訪れた幸運に、モジモジとハッキリしない態度のなぎさであったが、
それを遠慮と受け取ったのか藤村が再び笑顔で誘ってくる。
「ああ、俺なら少し位濡れても大丈夫だから。それよりほら、早くしないとビショ濡れになっちゃうよ?」
――でも藤P先輩と相合傘なんて…
そんな乙女チックな思いから躊躇していたなぎさだが、やがてコクと無言で頷き静かに藤村の隣へと歩を進めていく。

夢のような幸せな時間。何か話そうとするものの、内心ドキドキで言葉が口から出てこない。
それならばせめて表情だけでも…とちらりと隣を見やると、視線に気付いたのか微笑を返してくる。
その微笑が、ますますなぎさを無口にして行く。
そんななぎさの葛藤を知ってか知らずか共に無言で歩いていた藤村だったが、ふと何事か思い出したのか突然口を開く。
「そう言えばほのかから聞いたよ。この前バスケで高校生相手にシュート決めたんだって?
ラクロスの試合でも大活躍だったし、本当に美墨さんは凄いよね」
「凄いだなんて…、あたしなんて元気だけが取り柄みたいなモンですから…」
思いがけない褒め言葉に照れつつも喜ぶなぎさ。
「ちょっと美墨さん、濡れちゃうよ?」
「あ!ゴメンなさい…!」
言われて初めて傘から離れていた事に気付いたのか、慌てて戻ってくる。
「ハハ、謝る事はないよ。君って本当に面白いコだね」
そんななぎさを見て楽しそうに藤村が笑う。
だがふと真顔に戻ると、運命を変える一言を静かに呟いた。
「でも、だから美墨さんの事好きなのかな、俺…」

他意は無かったのかも知れない。単なる言葉のアヤであったのかも知れない。
だがソレは、なぎさの想いに火を点けるにはあまりにも十分過ぎた。
感情が理性を凌駕し、今まで胸の奥に押し留めていた気持ちを抑える事が出来なくなる。
そして、とうとう禁断の言葉を口にした。
「先輩……好きです…」
初めて口にする自分の気持ち。だがそこに在る筈だった戸惑いや後悔は不思議と存在しない。
「…好きです。あたしと…付き合って下さい!」
そして精一杯の想いを込めて藤村を見つめる。
突然の告白にさすがに驚いた表情の藤村だったが、数秒の間を置いてやおら答えだす。
「ありがとう、美墨さん。俺の事そんな風に思ってくれていたなんて、知らなかったよ…。
……でもゴメン。正直俺、今はサッカーの事しか考えられないんだ。
それに美墨さんの事は大事な友達だと思ってる。それ以上でも、それ以下でも無いんだ…」
「……ッ!!」
あまりの衝撃に、思わずなぎさがヨロヨロと二・三歩後ずさる。
茫然とする全身を、より一層激しさを増した雨が無情にも打ちつける。
「美墨さん!?」
心配する藤村の呼びかけに、魂を抜かれたようななぎさがようやく少し我を取り戻す。
「あ…あの…ゴメンなさい。今の忘れて下さい…それと、サヨナラ…!」
そして絞り出すようにそれだけ言うと、その場から逃げるが如く走り出す。
「美墨さん!!」
自分を呼び止める藤村の声を振り払うように全力で走るなぎさ。
その頬を、一筋の滴が流れ落ちるのであった。



* * *



「これでお終い!良かった、間に合って」
最後の1枚の洗濯物を畳み終え、ほのかがホッとした様に呟く。
「それにしてもせっかくのお出かけなのに、おばあちゃま大丈夫かしら?」
降りしきる雨を眺めながら、外出している祖母の様子を案じるていると、
「!?」
ふと呼び鈴が鳴ったような気がする。
(こんな雨の中誰かしら?それとも空耳だったのかも…)
疑いながらも玄関にやって来てみると、確かにガラス越しに人影があるのを確認できる。
ヤッパリお客さんだったんだ、と思いつつ少し用心しながら戸を開ける。
だが次の瞬間、ほのかの表情が一変した。
「なぎさ!」
そこにあったのは、ずぶ濡れで佇むなぎさの姿。
「どうしたの!?ビショ濡れじゃない!」
「うん、チョットね…」
「チョットねって、全然チョットなんかじゃ…!?」
言いかけて思わず口をつぐむ。
(あの目……泣いたの?)
ほのかにしか分からないであろう微細な証拠。
それに何事かを感じたほのかは、ただ無言でなぎさを家の中へと引き入れるのであった。


・ ・ ・


「私の寝巻きだけど、なぎさにも丁度良かったみたいね?」
濡れた制服をハンガーに掛けながら、ほのかが努めて明るく声をかける。
「それから、体が温まるようにお茶持って来るね」
台所へ行こうとほのかが部屋を出ようとしたその時、今まで沈黙していたなぎさが口を開いた。
「あたしね、藤P先輩に告白したんだ…」
「え…?」
「それでね、見事に振られちゃった」
淡々と話すなぎさだが、その内容にほのかが言葉を失う。
だがなぎさは、そんな反応を無視するように問わず語りに事の始終を語って行く。


「…………あ…」
全て聴き終えたほのかだが、何か話しかけようと思ってもかけるべき言葉が見つからない。
そんなほのかの様子を見て、なぎさが少し微笑みを浮かべる。
「そんな顔しないでよ…別に振られた事が悲しいんじゃないんだ。もちろん悲しいんだけど、
何であんな事言っちゃたんだろうって気持ちの方がずっと強いんだ……」
「……なぎさ」
「……どうして?どうしてこんな事になっちゃたの?ただ一緒に居られるだけで、一緒に話せるだけで良かったのに。
…もう会えない。もう藤P先輩に会わせる顔なんか無い!」
溜まっていた思いを吐き出し、なぎさが嗚咽する。
そんな事、気にする程の事では無いのかもしれない。
だがそれには、あまりにもなぎさは純であった。
そんな純粋さを誰よりも知るほのかが、泣きじゃくるなぎさをそっと優しく抱きしめる。

自分の胸の中で泣く、まるで水晶玉のように透明で、ガラス玉のように壊れ易いなぎさ。
抱きしめる内に、いつも見慣れているはずの存在が堪らなく愛おしくなって来る。
――キスしたいな
不意に胸に湧き上がる思い。
(……!?こんな時に何考えてるの?それになぎさは親友でしょ!?)
生まれ出るその邪な思いを必死に打ち消そうとするほのか。
だが一旦燃え上がってしまった欲望の炎は消えること無く、むしろより勢いを増して行く。
そしてとうとう…
「なぎさ……」
「……?」
「ゴメンね……」
そう呟くと、スッとなぎさの唇に自分の唇を重ねて行く。

どれくらいの時間そうしていたのだろうか?
ほのかの唇が、名残惜しそうになぎさの唇から離れて行く。
「……ゴメンね…」
そしてもう一度ほのかが謝罪の言葉を投げかける。
茫然とするなぎさだが、しかし不思議と嫌悪感は感じない。
ただ、理由がわからない。
「ほのか……どうして?」
「どうして?って、キスをするのに理由なんか要らないでしょ…?」
なぎさの質問に、クスッと笑いながらほのかが答える。
答えにはなっていなかったかも知れない。だがそのほのかの微笑みを見た瞬間、なぎさの中で何かが弾けた。
なぎさとほのか、二人の視線が妖しく絡み合う。
どうやら蕾は開いたらしい。
どちらからとも無く互いにもつれ合う様にベッドに倒れこむと、激しくキスを交わす。
「なぎさ…」
「ほのか…」
そして二人は見つめ合う。
「一つに…なろう?」
「うん、ひとつに…」

蕾から一輪の花へ。

外では未だ止む気配を見せずに雨が降り続いていた。



* * *



「“愛しい”じゃ無くて“スキ”だったのかな…」
まだ先程の余韻が残るベッドの上で、なぎさがポツリと呟く。
「何が?」
その言葉を耳にしたほのかが不思議そうな顔で聞き返す。
「藤P先輩に対するあたしの気持ち。確かに好きだったけど、それは単なる“スキ”だったのかなと思って」
「フフ、何だか難しい事言うのね…。じゃ、さっき言ってくれた私への“好き”はどっち?」
「ほのかへの気持ち?それは―――“愛しい”かな……」
「嬉しい!私もなぎさが愛しいよ…」
言うや否や、再びなぎさに覆い被さり唇を重ね合わせるほのか。
その行為を受け入れながらも、ふとなぎさが視線を横にすると、時計が視界に入ってきた。

(8時15分……。……8時15分!?)

「あーーーーっ!!!」
時間を確認するや、突然大声を張り上げるるなぎさ。
「ど、どうしたの?突然…」
「大変だ…もうこんな時間!今日お父さんもお母さんも遅いから、亮太に夕飯買って帰るって約束してたんだ…。
どうしよう、急いで帰らなくっちゃ!」
スルリとほのかの間を抜けるようにしてベッドから飛び降り、壁に掛けてある制服に手を伸ばす。
「なぎさ!それ、まだ半乾きだよ!?」
「いいの!そんな事言ってる場合じゃないって…。ほら、ほのかも早く服着なよ!?」
なぎさに急かされ、慌ててほのかも着替え出す。
そして二人で慌しく玄関へと向かう。

靴を前に最後の身繕いをするなぎさの背中を、少し寂しそうにほのかが見つめる。
と、突然なぎさがクルリと振り返り、ほのかに素早く口付けをする。
素に戻っていたせいか、思わず赤面するほのか。
そんな様子を見て、なぎさが満面の笑顔を見せる。
「ほのか、今油断してたでしょ?油断最適ってね!」
「!…油断大敵でしょ、もぅ。それより早くした方がいいんじゃないの?」
赤い顔のまま、照れを隠すようにしてほのかが急かす。
「はいはい、分かってるって!」
軽口を叩きながら戸を開け、外へ一歩踏み出すなぎさ。
だがそこで再び振り向くと、今度は真剣な顔で話しかけた。
「ねぇほのか、今日はアリガト……。じゃあね、また明日!」

雨上がりの夜空の下を、なぎさが元気良く走り去って行く。

空にはまるで二人を祝福するように、丸い月が輝いているのであった。



* * *



「それでさ、結局家に帰ったらお母さん達もう帰ってて、こってりと絞られたよ……」
「ゴメンね。私のせいで……」
「ううん、ほのかのせいじゃ無いよ。元はと言えばあたしが悪いんだしさ。それに…」
青空の下、お喋りをしながら仲良く並んで登校する二人。
と、突然
「美墨さん!」
なぎさをを呼び止める声がする。
その聞き覚えのある声に振り向くなぎさ。
「藤P先輩…?」
何事かとキョトンとする彼女に、藤村が思い詰めたような顔で話しかける。
「美墨さん、昨日はゴメン…。俺美墨さんの気持ちの事、全然考えて無かったよ。それでもう一度考えたんだけど…」
さらに何かを続けようとする藤村を遮るように、なぎさが笑いながら言葉を挟む。
「アハッ、そんなに悩まないで下さい。もう本当にいいんです。全然気にしてませんから!
それにハッキリと言ってくれたお陰で前に進めましたから、逆に今は感謝してるんですよ?」
そう言ってチラリとほのかに視線を向ける。
「でも、美墨さん…」
「あ、それからサッカー頑張って下さいね!ずっと応援しますから。それじゃ!」
そうカラリと言い放つと眼下に誰かを見つけたらしい。
「あ、ひかり達だ!おーい、ひっかりー!」
呼びかけながら軽やかな足取りでその場から去っていく。

一人残され唖然と佇む藤村に、ほのかが笑顔で話しかける。
「フフ、振られちゃったのね、藤村クン。ところでもう一度考えたって、何て言おうと思ったの?」
「ほのか…、俺…」
「ダーメ。乙女心って難しのよ?」
少し意地悪く微笑むほのか。
そんなほのかに、何か言いたそうな藤村だったがその時、
「ほのかー、早くー」
坂下で笑顔で手を振りながら、なぎさが大声で呼びかけてくる。
「今行くから、待っててー。じゃあね藤村君、私も応援してるからサッカー頑張ってね!」
藤村に別れを告げ、ほのかが愛しい人の下へ駆けていく。
爽やかな陽射しに負けないくらい輝く笑顔の二人。

二人の間に咲いた花は、これからも枯れることなく美しく咲き続けるであろう。







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